尊敬する人はいますか?

「あなたが尊敬する人は誰ですか?」

そう問われた時、私は、ちょっと口ごもりつつ「マザー・テレサです」と答えていたことがあります。

でもね、本当は違いました。

尊敬する人は、誰もいませんでした。

 

確かに、マザー・テレサは偉大ですし、そんな生き様にあやかりたいと思っていた時期があります。

だからこそ、名前が出てきました。

でもね、偉大過ぎます。

あまりにもかけ離れすぎていて、私には、真似ができません。

なので、なんだか居心地が悪いような感じが胸のうちにくすぶっていました。

 

少し話が飛びます。

子供の頃は、本を読むのが大好きで、中でも、とんちで有名な一休禅師の伝記を何度も繰り返し読んでいた時期がありました。

その影響で、当時は尊敬する人は一休禅師で、将来は尼僧になることが夢でした。

ところが、中学生になってから、仏門に入るのは良いかもしれないけれど、俗世にいても修行なのでは・・・とちょっとマセた考えをするようなり、別の道を考えるようになりました。

成績は悪かったけれど、好奇心を満たしたくて勉強をしたかったのです。

できれば、大学に行きたかった・・・。

ただ、父が「女が学問を積んでどうする!」という古い考えの人だったので、高校を卒業したら就職することになりました。

家計も苦しそうだったので、そこは無理を言ってはいけないかなと割り切り、就職してお金を貯めてから、好きな道を目指すのもいいかもしれないと考えました。

そして、ただただ毎日を生きるのに必死になってしまい、一休禅師に憧れていたことも忘れ果てていきました。

 

さて、現在の私に戻ります。

今、「尊敬する人は?」と問われたら、「世間の母親たちです」と答えます。

理由は、子育てという難事業を懸命にこなしているから。

私は子供を生んでいないし、育ててもいません。

なので、想像で大変そう・・・という思いだけが強くあります。

何より、自分ひとりが生きるのに必死すぎて、私には真似できないなと感じています。

 

今、私が勤めているパート先には、素敵な母親たちがいます。

彼女たちの、様々なことを乗り越えてきたという強さがもたらす、人としての深みに救われています。

また、お客様がお子さんのために、慣れない裁縫に挑もうとしている姿にたくましさを感じています。

私は、今更母親にはなれないけれど、そんな母のような強さや深みを身に着けたいと感じるようになってきました。

そして、愛を与えられる人でいたいと思っています。

 

まずは、相手の気持ちに寄り添うこと。

これを大切にしていきますね♪

では、また~。

 

編み物と裁縫が好きな、カラーセラピストです。 ぶきっちょに生きていますよ。

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